『回螺』『灰羽連盟』に見る、悲しくも優しい調和に満ちた世界(修正再録)

漫画家でありイラストレーターであり小説家でもある安倍吉俊氏の『回螺』『灰羽連盟』を関連づけた考察・感想・自分語りの文章です(昔はてなダイアリーに書いた文の修正再録。しばらくしたら元記事は削除予定)。

安倍吉俊氏のこういうソリッドでウェットな作品がまた見てみたいが、同人で出している小説のシリーズとかも面白いので続けて欲しい。

『回螺』『灰羽連盟』のネタバレがありますのでお気をつけください。

『回螺』という物語について

まずは『回螺』という物語について語りたい。

“救いはない。”
“これから向かう世界のどこにも救いと呼べるものは何一つ、ない。”

『回螺』の冒頭1ページ目、黒の背景のページにただ一言書かれた文がこれである。
ここまで強烈に、冒頭から読者に“希望”を否定する物語はそうない。
そして、物語はこの言葉の通り、絶望にいろどられて進んでいく。本当に何一つ希望らしい希望など出てこないのだ。

回螺 (WANI MAGAZINE COMICS SPECIAL)

回螺 (WANI MAGAZINE COMICS SPECIAL)

  • 作者: 安倍吉俊
  • 出版社/メーカー: ワニマガジン社
  • 発売日: 2008/06/26

暗黒漫画四部作と銘打たれたこの本は「古街」「樹葬」「廃域」「白雨」という四つの話からなる。

話同士に連続性はない。世界も似ているようで違った世界のように見える。

「古街」「樹葬」は、設定的にはわりと我々の現実からの連続性を保っているように見える。星が自転の速度を落とし滅び始めた世界。

ヒトの記憶と存在も不明になった暗い世界で動き、働いているのはヒトが作ったウツロとヒトに似た呼ばれる人造体。
ウツロは滅び始めた世界の謎に触れるために、ヒトの住むと呼ばれる世界に行ける、ヒトの脳を持ったウツロを作り出し、送り出す……
この話は途中で終わっている。送り出されたヒト×ウツロは旅の途中で倒れ、助けられはするもののそこで話は終わる。

「廃域」は、最初の話と“ウツロ”と呼ばれる存在についての設定は似ているが、世界はまるで違う。
延々と迷路の続く世界に放り出された4人の男女。迷路の中にある物は、全てがイミテーションで水以外に口に出来る物はない。立ち止まれば死のみの世界を、出口も知らずただ彷徨う……
ウツロと呼ばれる存在は血液を媒介して記憶をやりとりするという設定は、前の話と同じだ。
話の冒頭、この世界が「魂」の実験のために作り出された世界であり、4人はその実験体であることが文で書かれている。つまり、4人にはなから希望などない。
しかし、四人は記憶の断片を収集(つまり互いを捕食)しながら、次の世界を目指す。そこに希望などないことを知ってか知らずか……

最終話「白雨」。
この話に登場するのは328と329という二人の少女、いや、少女型のウツロだ。
同じような実験世界が、二人の少女は何も知らず、互いを姉妹だと認識して、世界の外を目指す。
しかし、建物の外へ出て川を越えられる筏に乗れるのは一人だけ。
やがて、少女達は生きるために殺し合う……。

全てを読み終わるのが辛くなるほど絶望的な世界。
物語の導き手のようにそれぞれの話に現れる羽虫は、ことあるごとに登場人物たちに囁く。

“ここはただ殺し合うためだけの世界で、救いはない。しかし、生きたければ進め”

つまりは「死ぬまで殺し合え。でなければ死ね」ということ。酷い話だ。

死に満ちあふれ救いもない、まるで冥府そのもののような世界をひたすら描くこの作品を、しかし読むのをやめることが出来ないほど引きこまれる。
何故だろう。

ヒトは希望を無意識に求める存在だ。どんな状況でも。
まるで冥府のような死だけが満ちた世界だが、読み手はそんな世界だからこそ、キャラクターたちと同じように、救いを渇望し、物語を読み進める。少なくとも自分はそうだった。
だが、その思いを裏切るように結局、本の最後まで救いらしい救いは現れない。

実はこの世界の謎については、作者の安倍吉俊氏の「あとがき」で種明かしされている。
物語の設定的には、4つの話は全て、とある科学者が作り出した実験のための仮想空間の話で、廃棄されたその領域でひたすら繰り返された“エンリ”という人格たちの物語であること。そして、作品自体は「『意識を発生さえるものはなにか』という問題について考えるために描いた」物語であること。

この“閉じた世界”“魂の葛藤の場”というシチュエーションは、安倍氏の別作品である灰羽連盟とも似通っている。

灰羽連盟 Blu-ray BOX

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  • 出版社/メーカー: NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
  • 発売日: 2015/10/23
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『灰羽連盟』という物語について

「灰羽連盟」について触れてみたい。

wikipediaの引用となるが、灰羽連盟のあるあすじ。

高い空からまっすぐに落ちていく少女。やがて彼女は水に満たされた繭の中で目を覚ます。古びた建物の一室で彼女を迎えたのは背中に飛べない灰色の羽を持つ、「灰羽」と呼ばれる少女達。繭の中で見ていた空を落ちる夢から、少女は「ラッカ」と名づけられる。
円形の壁に囲まれたグリの街、灰羽の暮らすオールドホーム、そこでの仲間たちとの穏やかな日々。戸惑いながらも少しずつその生活に馴染んでいくラッカ。しかしやがて、短い夏の終わりに1つの別れが訪れる……。

物語の冒頭はとても暖かい世界として始まる。

壁に囲まれたグリの街は完全に外界からは断絶だれているものの、そこに住まう人たちは
みんな灰羽であるラッカたちにも暖かく接し、灰羽たちも小さな共同体を形成して、力を合わせて生きている。決して裕福な暮らしではないが、日常の当たり前の喜びや、灰羽たちとの家族のように親しい生活は、とても穏やかで満ち足りた日常。世界は明るく、彼らを害する存在などない。
飛べないとはいえ羽をもった天使のようなものたちと、幸せに満ちた世界。一種の楽園だ。

主人公・ラッカも戸惑いながらも世界を受け入れ、日常に溶け込んでいく。
しかし、だんだんと世界の在り方(というか、ラッカの世界への認識)は変わっていく。
世界や、身近にいる人物の苦悩、そして、自分が灰羽として生まれたことの意味をしるにつれ、その幸せな日常に居場所を失って、いや、居場所を見つけられなくなっていく……。

ラッカを軸にして、丁寧にキャラクターたちの心情と世界との折り合いを描き出した作品だ。
やがて、明確に作品の中で言われたわけではないが、このグリの街という世界が、灰羽たちにとっては「生」と「死」の間にある中間的な世界であり、灰羽たちは「望まぬ不幸な死」を迎えたものたちであることが語られる。
灰羽たちの目的は、自分の真名、つまり真の名前とその与えられた意味を知る(自ら規定する、ということかも)ことで、望まぬ死を迎えたものたちに与えられた、最後の、本当に最後の、自分を受け入れる機会なのだということを知っていく……。

自らの過去、過ちを振り返り、自分の存在の意味を知り、それを受け入れる、という作品のテーマは凄く心に響いた。没頭し、引き込まれたと言ってもいい。

正直、このTVでこの作品を見たとき、ここまで引き込まれるとは思っていなかった。

私事になるが、小説、漫画等、いろいろな作品に現れる“背に羽をもった存在”と、その存在が“希望”の象徴のように描かれることにいつも違和感を感じていた。
これはもう完全に自分のせいなので、別にそれが悪いというわけではないのだが、いつも思っていたことがある。
それは「羽をもつものが人間世界に降り立ったら幸せなことになどなりはしない」という思いだ。

昔、こんなことがあった。
小学生の頃だが、親しい友達5人でうちの実感の裏庭で遊んでいた。裏庭はとなりに家と地続きで、となりの家は年老いた犬を飼っていた。僕らはよくその犬を遊び相手としていた。
ある日、遊んでいるとスズメが字面に降りてきて、何を思ったか庭の端にあった物置の下に潜り込んだ。物置の縁の下はブロック2つほどの入り口が2カ所あって、僕らはちょっとした悪戯心で2カ所の入り口の1つをブロックで塞いで、もう片方からその年老いた犬を押し込んだのだ。みんな、なにが起きるかとワクワクしていた。「スズメもびっくりするだろうな」ぐらいにしか思っていなかったのだ。しばらくすると、犬とスズメが大騒ぎする音が聞こえ、やがて静かになった。
そして、犬は出てきた。ぐったりとして血に染まったスズメを咥えて。
ぼくらは息をのんだ。別にスズメを殺そうとは思ってなかった。そんなことになるとは思っていなかったのだから。
ぼくらは慌ててスズメを家に運び込んだ。手当をするためだ。
しかし、ちょうど親もおらず、小学生に手当の知識などろくにあるはずもない。できたことといえば、血を拭いて傷口を消毒するぐらいだ。
そうして、当然の帰結として、スズメは死んだ。
浅はかな子供のやったこととだが、ぼくらは罪悪感に押し黙った。一緒にいた女の子は泣いてさえいた。
しばらくして、スズメは庭の柿の木の根元に埋められ、ぼくらはそのまま別れた。
もちろん、小学生の子供のこと、そんな罪悪感がずっと続くわけもない。数日もすれば罪悪感など綺麗さっぱりなくなったが、なんとなくその場にいた者の間で、そのことを話すのはタブーになった。

たぶん、そのときのことを、その場にいた友達たちはもう覚えていないだろう。小学生のころのことだ。
だが、私は忘れなかった。
なにせそのスズメの墓は、洗面所の窓から外を見ればかならず目に入る柿の木の下にあったのだ。
実家の親にもこのことは話していない。だから、この「ぼくらが殺したスズメの墓」のことを覚えているのは、たぶんこの世界で私だけだ。

別にこのことで私が罪悪感に満ちた暗い子供時代を過ごした、とか、根が暗くなったとかはない(自分のもとの性格の部分を抜かせばだが……)。だが、それでも。朝起きればかならず見る“墓”の存在は、否応にもいろいろなことを考えさせた。

人間からすれば羽のあるものは、そりゃ自由で希望にみちた存在なのかもしれない。
しかし、羽のあるものからすれば、地上など気持ちのいい場所ではないだろう。
飛ぶこともかなわず、使い慣れない足でよたよたと歩くしかないのだから。
だから、“羽のあるもの”にとって地上に墜ち、そこに住むしかない状況など不幸以外のなにものでもない。
居場所などなくて当然だ。そこは彼らにとって自分の世界ではないのだから。
居場所のない存在は、望む望まないにかかわらず世界から追い出される。それがどういう形をとるかはわからない。死かもしれないし、追放かもしれない。だが、決して幸せではないことは確かだろう。

……そんなことを考え続けていた。

話が長くなった。
まあ、そんなわけで「灰羽連盟」の1話を見て、灰羽という存在を見たときは、正直げんなりした。またか、と思った。しかし、その後、物語が進むにつれて引き込まれていった。灰羽たちの生き様が、地上に降りて死んだスズメに重なって、心から離れなくなったのだ。

「回螺」と「灰羽連盟」で語られていることについて

「回螺」の死の迷宮世界と、「灰羽連盟」のグリの街。
まったく違った雰囲気の世界だが、その実、ウツロ達と灰羽達の向き合う問題は少し似ている。
それが用意されたものかどうかは問題ではない。

望まざる生を受けた者が、死を前にして自らの生きる意味を問い直す。そこに自分の意志があるのかを、自ら規定する。

「回螺」の冒頭の言葉は語っている。
「救いと“呼べるような”ものはない」と。
「救いはない」ではなく「救いと呼べるようなものはない」のだという。

簡単に見つけ出せるような、一目で救いとわかるようなものはない、ということだ。
だが、それは「救いがない」こととイコールではない。いや、その二つは似ているようで全く違う。近いようで、その実、離れた意味だ。
救いがないことは、希望がないことと同義ではない。

「回螺」の最後の話のラスト、生き残ったウツロの少女がこういっている。

“ウツロなのは心じゃない。この世界こそが私たちの心によって記述されたものなのよ”

世界が心によって記述されうるものなら、どんなに絶望と死を演出する世界でも、心のありようによって変質するはずだ。
世界を心によって記述する、という設定は安倍吉俊氏の関わったTVA「lain」にも繋がる設定だ。

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安倍吉俊氏は「回螺」のあとがきで……

“作中に何度か登場するハヴェルというのは、文字の連なりが文脈と結びついて世界になるように、情報の循環系が、『世界の文脈』と呼べるような何かと結びついて意識を発生させる構造体です。それが何なのかについては、これから描く物語の中で明らかにできれば、と思います。”

「物語(世界)を記述する言葉と意識」というのは安倍吉俊氏にとってライフワークのようなテーマなのかもしれない。

灰羽たちが、自らの救いを、自ら見つけ出さねばならなかったように。
ウツロたちも、自らの心に問いかけることで、自らの救いを見つけ出すのではないだろうか。

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